「もしもボックス」に入って、「もしも1970年になったら」と言ったら、
1970年にタイムトラベルできるだろうか。
その「1970年」は「本当の1970年」だろうか。
そっくりに作られたニセの「1970年」だろうか。
まったく見分けがつかなかったらどうだろうか。
その「1970年」では、自分や自分の親を殺すことが可能だろうか?
可能なようにも思える。
それが「真のタイムトラベル」と、「もしもボックス」で作った世界との判別法といえるだろうか。
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もしもボックスは、世界をまるごと瞬間的に作り出す道具、ということでいいだろうか。
それともあらかじめどこかに存在していた別の世界にジャンプする道具なのだろうか。
その二つは見分けがつくのだろうか。
あらかじめどこかに存在していた別の世界にジャンプする道具だとして、体ごと行くのだろうか。
それとも、あらかじめどこかに存在していた自分そっくりの人間の中に意識だけがジャンプするのだろうか。
あらかじめどこかに存在していた別の世界だとすると、
その人物が元々持っていた意識はどこに行ってしまうのだろうか。
それはそれで、瞬間的に分岐した世界に続いていくのだろうか。
(いずれにせよ一人の人間の意識の中から眺めている限り、見分けはつかないように思える)。
もしもボックスで作った世界から、元の世界に戻る、というのはどういうことだろうか。
そのとき、もしもボックスで作った世界には、誰が残るのだろうか。
自分だけが不在になるのだろうか。
それとも意識が分岐して、自分とは関係ないもう一人の自分が残るのだろうか。
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そもそもタイムマシンというものが、もしもボックスの一種なのだとしたらどうだろうか。
行きも帰りも、その都度あらたに世界を作り出しているのだとしたら、どうだろうか。
セワシの「大阪問題」にもこれで解決がつくように思える。
セワシは、1970年にのび太の部屋にいきなり体とともに出現したようだが、
もしもボックスが体ごと移動する装置であればそれでいいし、または、
「1970年の正月に机から自分とまったく同じで意識だけが不在の体が飛び出した世界」
という大変都合のいい世界を作り出し、その体に意識だけをジャンプさせる方法でも良い。
帰るときにも、自分がもといた時代には帰らなくてよい。
「自分が干渉した世界がそのまま続き、かつ自分が生まれてきたという環境だけあり、
自分だけがぽっかりと不在になっている」世界
を作り出し、そこに体ごと移動していくか、または
「自分が干渉した世界がそのまま続き、かつ自分が生まれてきた」という、世界を作り出し、
そこにいる自分の肉体の中に意識だけジャンプしてゆけば良いのである。