Posts categorized "読書感想文"

読書と学力

読書は学力の上限を規定し、書く力は下限を規定する(岸本裕史)。

だから、読書感想文は書くことが全てではなくて「どういう本を読むか」、も含めて指導されなくてはならない。

良い感想文が書けているけどろくな本が読めてない子供と、
ろくな感想文が書けていないけど、良い本を読めている子供。

どちらももったいないということ。

  

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「感想文」ではなく「感動文」を

宮川俊彦先生の作文指導の中に、「バカヤロー作文」というのがあるらしい。

国語の現場には、「何を書いたらいいのか分からない」という子どもがとにかくたくさんいる。

そんな子はとにかくまず、原稿用紙に「バカヤロー」と書いてみろというのだ。
すると、そこからなぜか鉛筆が勝手に動いて書き始められるのだ、というようなことらしい。

本当に今何か思っているわけじゃなくてのいいのだ、と。
何にも思ってなければべつにそれでもいい。
でもとにかく原稿用紙になにか書き初めてみなさい、
という指導らしい。

文章なんてそんなもんだと思うくらいがいいのだ、と。

一理あるとは思う。
それはそれである意味真理だと思うけれども、

ただおれは、
なにもなかった感動を、
感動なんてしてなかったらしてなくていい。
文章の上で、してたことにすればいい。
ということになってしまうのは、
それはやはり最後の手段だと思う。

下手をすると、原稿用紙と言葉でできたアート作品みたいにもなりかねないと思うので、
もうすこしねばってみたい。粘らせてやりたい。

書くことよりも、感動する方が先にあるべきだと思う。

マス目を埋めなきゃ0点だとしても、
書けなきゃ書かなくてい。くらいの気持ちで。

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ストリーミング型読書とダウンロード型読書

ほとんどの子どもが、
そして大人も大半の人たちがじつは、
書いてあることをただそのまま受け入れていき、
読んだ端から忘れていくという
「ストリーミング型読書」をしているのではないだろうか。
そしてそれはそれで、
娯楽としてはいちばん気楽で楽しい読書方法なのだ。

一方「ダウンロード型読書」というのは、
自分の中に情報や知識をためていくタイプの読み方だ。
ただためていくだけじゃなくて、
あとから情報を取り出しやすくするため、
心の中のフォルダに分類しておいたりもする。

少なくとも、「読書感想文」が書けるためには、そんなふうに、
どんなことが書いてあったか、どこに自分は引っかかったかを、
あとから思い出せるような
「ダウンロード型読書」ができていないと、
どうしようもない。

じつは「読書」だけではなく、
日々の体験のすべてに対して、
それが「ダウンロード」されているか、
「ストリーミング」で流れていっているだけか、
その違いによって、
生き方自体が大きく変わってくる。

子どもにとって、それは、
ただ「楽しいだけ」の日常からの決別を意味するのだが、
とはいえ、
人に感動を伝える、とか、問題だと感じたことを相談する、
などのコミュニケーション技術を、
人間はそうやって鍛えてきたのだし、
せっかくだから「読書感想文」という教育は、
そのぐらいの射程をもった意識のもとで行われていくべきなのだと思う。

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