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‪ドラえもんが「トインビー・コンベクター」である可能性。‬

 昨日たまたま入った古本屋で買ったレイ・ブラッドベリの文庫本で「トインビー・コンベクター」という短編を読んで、ああこれは「ドラえもん」の果たしている役割そのものかもしれない。と思ったのだった。

 

 あえてネタバレを書いてしまうが、

(ネタバレを避けたい人は以下を読む前にその短編を探して読んでみてください)

 

 

 人類初のタイムトラベラーが、100年後の未来に行って帰ってくる。彼の詳細なレポートによると、そこは戦争も環境破壊も差別もなく、科学技術と自然が調和した、まさに人類の到達点ともいえる輝かしい未来だった。

 その知らせに世界中は歓喜に満ち、自信を取り戻し、様々な困難を克服した結果、100年後の世界は、まさに彼が報告した通りの姿となった。

 一方、当のタイムトラベラーは、未来世界の報告を終えた後、なぜかタイムマシンを封印し、世間から身を隠して沈黙してしまう。

 ある日、そのタイムトラベラーから、あるジャーナリストに、たった二人で会見をしたいとの連絡が入る。彼が最初に訪れた未来の日付を指定して。

 (タイムトラベラーは130歳。医療技術の飛躍的発展がこの長寿を可能にしたのだった)

 人類を代表する興奮に打ち震えながら会見に臨むジャーナリスト。しかしまさにその記念すべき瞬間が来ても、そこに現れるはずの若きタイムトラベラーはついに現れない。

 そして本人の口から、彼の報告もタイムトラベルそのものも、巧妙に作り上げられた映像による嘘だったのだと告げられる。

 全てを理解したジャーナリストは、会見の一部始終が記録された媒体を焼却炉に放り込んで、その場を立ち去るのだった。

 

 

 あらすじをまとめると、皮肉とニヒリズムに満ちた話とも取られかねない話だが、ブラッドベリの文体のなせる技なのか、不思議と読後感は良い。

 

 多くのSFはもっとネガティブな未来を描いてきた。

 それらが果たしてきた役割は、このタイムトラベラーのついた嘘の逆だったとも言える。

 そんな中、いまだにあっけらかんとした明るい未来を描き、新作アニメでそのイメージを供給し続けている「ドラえもん」はますます貴重な存在となっていくかもしれない。

 

 

 ドラえもんの誕生日は、はよく知られている通り、2112年9月3日だ。

 ドラえもん誕生100年前を記念した小学館の企画で、歌人の枡野浩一は次のような短歌を詠んだ。

 

  ドラえもんあなたがいるということが未来があるということだから

 

 この短歌は、多くの現代人に、前向きで明るい希望を与えるだろう。

  だが、読みようによっては、ドラえもんがいないのならばわれわれにはあのような未来はないのだ、とも読める怖さも秘めている。だからこそ、その緊張感がより望ましい未来をもたらすのではないだろうか。

 ドラえもんとはそのようなものであるという意味で、「トインビー・コンベクター」(トインビーの主張したような不断の挑戦を文明に促す「意識の攪拌機」)である、とも言えるのである。

 ※トインビーの文明論についてはここでは割愛する。

 

 レイ・ブラッドベリ翁は2012年、91歳の生涯を終えた。

 ドラえもんが誕生する100年前、枡野さんがあの短歌を書いた、まさにその年に。

 

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