通勤で
一定の時間に乗らないので、同じ人を見かけたりという楽しみがない。
引き続きお金はどこに消えた問題。
みんな貯蓄のしすぎ、らしい。不景気なのは。
(うちは借金はあるのに貯蓄はないけどな)。
貯めてる意識はなくても買い控えは確実にしてる。
でもそうやって控えていてもいずれ放出はするような気がする。
内にたまってるものならば。
だけどもうひとつ、景気に良くないのはやっぱり海外。
海外に投資して,回収不能になったりする,というのは、
文字通りお金を消滅させてる行為だ。
そもそも日々石油など資源を買ってる。
それを上回る輸出品を国内で生産して売れていれば、
国内のお金は減らないけど,
海外に生産拠点のある企業が増えてるので,
売れたお金はその外国の従業員の給料になり,
その国で回っていくので,日本には帰ってこない。
日本の物を買ってくれればいいけど、そういう関係にはないだろう。
おれの仕事でも、付録とかは中国の工場で生産させてる。
そのぶんのお金の流出に加担しているわけだ。
いまはべつに不景気ではない、
もっと景気が良ければ、という間違った期待に比べて不景気なだけ、
なのだとすれば,
しばらくすればこの状態が常態になり、
誰もとりたてて不景気だと言わなくなるだろう。
その普通の状態から、じゃあ自分は何を目指して生きていくか、
ということになるだろう。
これからは心の時代だ、といわれて長いが、
結局どうなったのかというと、
心の時代が、来た人々と、
来なかった人々がいる、ということだろう。
要するに日本人全員に同じ境遇が来るような時代が終わったのだ。
金が回ってるなら不景気ではないはずだ。どこかで止まっているのだ。
どこに?
●海外に消えている(世界経済がよくわからない)
●闇社会に消えている(でもそんなには消えて行かないだろう)
●高齢者が庭に埋めたりしている(それは相続税もかからず朽ち果てて行くのだろうか)
●政府が隠している(隠せるのは政府くらいだろ。理由はよく分からない)
●地球脱出用の宇宙船が密かに建設されている(だからってお金はどこに行くのか?)
●別に消えてない。カウントの仕方が変わっただけ(よくわからない)
●金なんか最初からなかった
いまはべつに不景気ではない。
もっと景気が良ければ、という間違った期待に比べて不景気なだけ、とういう考え方もあるか。
世の中には、
村上春樹のようにつねにかっこいい作家と、
あえて名前は挙げないが、
いつも隙だらけで、かっこわるいところをさらけ出してしまっている作家がいる。
で、俺はどんな場合でも必ず、かっこわるい方の側につく。
かっこいいやつは、じつはかっこわるいんだ、というような詭弁を言うつもりはない。
言葉の定義通りの意味で,村上春樹はかっこいい。
だから、おれなんかが味方につく必要は全くないじゃないか。
あらゆる人間はそもそも、かっこわるい存在で、かっこいい振りが出来る人間と、出来ない人間ががいるだけだ、とも言いたくない。
そんなかっこつけたこと言えますかってんだ。
俺の好きな人は、とにかく困ったことに、わざとじゃなく、とことんかっこわるい。
でも、俺は好きなんだ。
芸術作品自体に価値があるのではなくて、それに触れることで芸術的考え方や行動が身につくことに価値がある。のかな。
ということは、そうでないなら、いくら数を見たり、所有しても意味はない。
ボケはその場にある種の混乱による、安定感の「欠損」を生じさせる。
ツッコミはすばやくそれを埋めて、ふたたび世界を元に戻し、安定させる。
ボケがボケっぱなしだと埋められない不安が募って、
世界は大変なことになる。
とにかく早くツッコミがその不安を解消して、
平穏を取り戻さなくてはならない。
いまや、ほとんどのお笑い芸能や漫画が、
そういう不安と安心の繰り返しパターンで出来ている。
では、ボケっぱなしなのが芸術や文学だ……と言っていいか。
一度はボケたのだが,もはやツッコミもされ終わっていて,
すっかり安定してしまっている芸術や文学も多いような気がする。
えらい人はなぜ、大量の会議に延々と出続けるのか。
また逆に、えらくなるためには,
なぜ大量の会議に延々と出続けなくてはならないのか。
会議の席で,いい意見を述べて、
いいものを生み出していくため、ではない。
会議に出ているほかの奴らに、
自分や自分のなかまたちが取れるはずの取り分を、
不当に持って行かれないようにするため、である。
また、やりたくない不利な仕事が回って来ないないようにするため,
である。
その牽制のために、
とにかく会議には出続けていなくてはならない。
発言するためではなく,
変な発言が出たりしないか見張るために,
話が自分たちに不利な方向に進みそうになったら,牽制するために,
そのためにこそ、
とにかくえらい人は会議には出ていなくてはならないのである。
油断していると、すぐに話はある方向に偏って進み始める。
それが自分たちに不利な方向でないか,
早めに察知するためには、
とにかくそういう集まりには出続けていないといけない。
*
マンモスの肉が欲しければ,寄り合いに出なくてはならない。
寄り合いに出てこないやつに肉をほしがる権利はない。
みんな意地悪でそうしているわけではないが,そうはいっても、
誰しもすこしでも自分や、自分の一族のために、
もらえるはずの肉が少なくなったらこまるので、
寄り合いには絶対に、家族の長は出ていなくてはならないのである。
*
で、ようするに、ゴルフもまた、そういうものである。
レジャーや趣味だったら、
あんなメンツとわざわざ休日にやりたいはずがない。
クリエイターと非クリエイター。
その中間が半クリエイター。
非クリエイターの人って、クリエイターの創造物を,
全部受け入れるか,全部拒否するかのどっちかだ。
半クリエイターは,クリエイターの創造物を,
いいところは受け入れ,だめなところは変えようと働きかける。
本の場合はたまたま編集がそれにあたるけれど、
いろんな業種のなかに、半クリエイターがいると思う。
警察庁が発表した運転免許統計によると、
公安委員会が認定した指定自動車教習所の卒業者数は20年前に260万人超だったのが、
2007年末には約178万人にまで縮小、だそうだ。
約80万人も減った。
それはなぜか。
近頃は、こういう話題はどうしても、不景気と関連づけて語られる。
でも、主な理由は端的に18歳人口の減少だという。
そりゃそうだろう。
20年前(1989年)の18才は1971年生まれ。
いわゆる団塊ジュニアのころで、200万人ぐらいいる。
2009年の18才は1991年生まれ。
出生数は約120万人だから…、だいたい計算が合う。
とはいえ…、
それより、若干減り方が激しい、ようにも見える。
やっぱり、いろんな理由が複合しているのだろう。
*
ところで、前から思っていたのだが,世の中のたいていの仕事は,
普通免許の試験に受かる程度の「根気と学力」があれば充分。
だから、免許取得者の減少が、
単純に18歳人口の減少+経済的理由、だけじゃなかったとしたら怖いな、
と思うが、根拠がないので、これ以上は書かない。
*
これ↓によると、受験者数が減少しているだけで,合格率はむしろ上がっている。
http://www.npa.go.jp/toukei/menkyo/menkyo11/h19_main.pdf
それにしてもおかしいと思うのは,
有名な「東山配水塔」のような物件はみんなに愛されていて、保存運動も盛んなようだ。
誰が見てもいかにも貴重な戦前の建築物だからだ。
いっぽう、60年代後半〜70年頃に作られたであろう海坊主は、
大事にしようという、愛情をかけられるひまもなく,
あまりにも酷いかたちでこの世から退場させられた。
でもおれは、あの隣の団地で生まれ育った人たちの多くは、
あの独特の姿に愛着があったと、信じたい。
それは当然,そうとは気づかずに育まれた、無意識の愛着だったと思う。
生まれた時から、そこに当たり前のようにあるのだから。
でも、あんな形の給水塔は、世の中にはふつうにはないのだと知って,
身内を恥じるような気持ちになった人もいたかもしれない。
世の中には誰もが認めるブランド的価値というものがあって、
自分ちのそばにあるあれは,まったくそういうたぐいの何にも属さない、
人に見られたら恥ずかしいような物だ,と思ったかもしれない。
それで、どちらかといえば、新しい給水塔に変わってくれて,
みんな喜んでいるのかもしれない。
せいせいしているのかもしれない。
ずっと家に居着いていた変な風体の親戚のおじさんが、
どっかに消えてくれて、ほっとしているみたいな感じなのかもしれない。
だとすると、、、ほんとに切ないな。。。。。
おれが路上観察に燃えていたのは80年代後半だが,あのころはまだ、
60年代後半から70年代につくられた構造物に対する価値観がまだ熟していなかったと思う。
トマソンにはその頃の物件が多かったが、それは現代美術としての受容のされ方であった。
最初から必要のために作られた鉄塔や高架水槽は、設計者の意図がある,”敵国側”(実用帝国)のものとして、そもそも、ほとんど観察対象となることはなかった。
一方で、西洋館や、消火栓,火の見櫓、古くて巨大な配水塔、その他”産業考古学的物件”などは、主に戦前のものが貴重だと考えられていた。
単にまだ時代が近すぎたのだ。
失われはじめてようやく、追いかける気持ちが生まれてくる。
いまや、高度成長期の物件に対する郷愁は、ますます募るばかりだ。
団地、工場、給水塔、ダム、鉄塔… オフィスビル、公会堂、遊戯施設…
「ウルトラマン」などのビデオで目にする機会が多いのもその原因かもしれない。ウルトラマンが倒れ込む建築物たち。
万博の人気もこういう感覚に拍車をかけているだろう。
ものごころついたら高度成長期も終盤だった世代。
ウルトラマン再放送世代。
これからしばらくは、この世代が世の中の価値観のベースを作っていくのかな。
いやまて、作っていけるのかな。
作っていっていいのかな。
キリスト教圏ではペットの葬儀はしているのかな?
愛犬が死んでもそういうことはしないのかな?
愛馬の場合は?
*
聖書には、動物の魂のことはどこを探しても書いてないらしい。すなわち、ペットは天国に行けない。
仏教においても、動物(畜生)には霊はないとされている。
一方で,宗教法人として、高い金を取ってペット葬儀を行っているところもある。
*
こういうことからしても、宗教とインチキのちがいがよくわからなくなる。
1999年のことは、ナインティーンナインティナインという。
1970年は、ナインティーンセブンティ。
では2009年は、トゥエンティナインでいいのか?
聞いた感じは29みたいだ。
西暦29年と区別がつかないではないか?
トゥエンティゼロナイン?
トゥエンティアンドナインでは、209年と区別がつかない。
(ちなみに西暦29年には、リウィア、初代ローマ皇帝アウグストゥスの妻が死去している。209年に何があったかは、とくに何も見つからない)
子供はなぜ学校でウンコをしたがらないのか。
その理由が,動物学的に考えられたことはあるのだろうか。
例えば人間の祖先の霊長類の子供が、群れの中で、
糞をしているときの無防備な個体に互いに襲いかかることにより、
順位付けを逆転しようとするような行動様式があったり。。。。
お花屋さんの店員さんは,マニュアルで簡単に誰でも出来るというわけにはいかない職業だ。
単に客が選んだ商品のレジ打ちをしているという場合は非常に少ない。
予算の中で、客の要望にかなうように、しかも非常に短時間で花をアレンジして渡さなくてはならない。
花屋という企業の社員である場合も多い。
たとえば「日比谷花壇」という会社に就職し、チェーン展開しているどこかの店舗に勤務している人だったりする。
もし、スーパーの店員や、ファミレスの店員が、花屋さんのようだったら。。。。
客に予算を聞き、その範囲で、いまある商品や,メニューの中から、
客の必要、好み、今の気分などに合う買い物や,食事をコーディネートする、ということになる。
客によってはいやがるだろうな。
花屋の他に,服屋がそこまでやるようになってるところもあるのかな。
あまりきかないが。
美容師がかなり近いのかな。
おまかせを主体とした寿司屋、というのは贅沢なので普及はしてない。
釣り船の船頭はどうだ。特殊すぎる。
花屋が一番普及しており、客からも期待され、まかされていると思う。
自分の業界だけがピンチな訳じゃなくて、社会全体がピンチなのなら,別に悪くないのでは。
こわいのは、ほかの業界は軒並み元気なのに,自分の業界だけが落ち込んでいる時で,
もっと怖いのは,自分の業界は活況なのに,自分の会社だけがだめなとき。