仕事観の問題
仕事観にからんでひきつづき。
「仲間か,業者か」
これは大きい。
なにをもって仲間と見なすか。
共通の利害?
お互いに依存しあう関係?
目指すものの一致?
塾の行事というのがあるのだ。父兄参加の合宿とか。
もちろん参加は任意だが。
運営しているのは塾の先生。
学校の先生と違って,私企業の従業員だ。
だから当然のように運営に関する仕事はすべて彼等がやる。
父母は「お客さん」。
だから、何もしないでいい。
手伝いたかったら手伝ってもいいと思うが、
もし手伝うと,彼等のプライドを傷つけるような気もする。
だから基本的には手を出さない。
すると結果として、職務を全うしている人に対する敬意がわいてくる。
彼等がなるべく楽なように、協力しようかな、という気がしてくる。
対して,学校はどうか。
不満が渦巻く。
なんでこんなことまで父母が分担させられるのか。
給料の違いですか?
いやそうではない。
仕事観の違いでしょう。
ネットでだいたいのところをひろってみた。
釣り人口は、平成10年2020万人→平成17年1070万人。
スキー人口は、バブル期1800万人→2004年760万人。
ダイビング人口は、90年代後半140万人→2000年90万人。
将棋人口840万人 囲碁人口450万人(いずれも2005年)
平成19年の全国ゴルフ人口(コースで昨年1回以上プレーした人口)は830万人で、前年比60万人、率では6・7%減少した
日本の野球人口は推定580万人。そのうちの実に9割近くを占めるのが軟式野球人口
バイク人口、10年前から、125cc以上の保有台数は300万で安定
パチンコ参加人口は95年が2,900万人→05年で1,710万人。
ボウリング人口は、総務省の「社会生活基本調査報告」によると、2001年では2600万人
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趣味で1000万人を超えるとちょっと異常かなと思うが。。。10人に1人以上、ということになるし。
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喫煙人口は、約3000万人。うち男2700万人、女300万人。(2005年)
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スポーツとしてのブーメランは、1988年の7カ国による世界大会以来、現在16カ国以上で普及しており、ほぼ2年に1度世界大会が開催されています。競技人口は世界で2000名程度、日本の競技人口は100名に留まっていますが、日本における愛好者(ブーメラン体験者)は1万人を超え、年々増加の傾向にあります。また、全国に約300名の「ソフトブーメラン普及員」認定者がいます。
(日本ブーメラン協会)
雑誌「盆栽世界」によれば盆栽人口は一説に100万人
2007年のカラオケ参加人口は昨年よりやや減少し約4670万人と推測される
現在、国内の空手人口は約300万人、世界では165カ国がWKFに加盟しており、4,000万人の愛好者、競技者が日夜稽古に励んでいます。
剣道 約500万~700万人
柔道 約21万人(登録競技人口)
空手 約300万人
少林寺拳法 約150万人(登録会員)
合気道 約100万人
テコンドー 約1万5000人
ボクシング 約6000人
レスリング ジュニア合わせて約9000人
柔道の登録というのは毎年更新料を講道館に払っている人みたいです。
日本の茶道人口(茶道を趣味とする人数)は270万人ほど(350万人という説もあります)、うち女性が9割弱だそうです。茶道人口の半数は裏千家に属し、表千家の方はは裏千家の半数程度という話もあるので、両者合わせて約200万人。残り70万人ほどを残りの流派が分け合っていると考えると、「30万人の門弟」というのは五指にはいる勢力になります。
クラシック人口は住民の1パーセントとか
プルタブや、ペットボトルキャップを集めるのが楽しくてやってる人たちには、
それをする自由があるのだから、周りに迷惑を及ぼしていないならば,それが
いかに無意味な行動であっても、息の根を止めるような非難をしてはいけない。
よく、不景気だとか言いますが,
全体の豊かさの合計が下がってるの?
全体の豊かさの合計は変わらないのだけれど,一部にのみ,富が集中するようになった、ということ?
全体が下がってる、というのならいいじゃない、昔のことは昔のこと。むしろ経済以外の面では、向上していることも多いはず。そこを見ようよ,と思う。
だが、そうじゃなくて,あいかわらず一部はおいしい思いで盛り上がってるのに,大部分がつまらない思いをさせられている、というのだったら、そりゃまあ嫌だな。
実際、後者だということで、いいいのかな。
要するに、分捕り合戦のつらさ、なわけですな。
ゲームやテレビが過ぎると,勉強がおろそかになる。
とはいうけれど、
ゲームもよくやるし、テレビもよく見ている子供が,
学力も高いということはよくある。
それはなぜか。
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強い鹿の雄は、角がでかい。
大きい角は,敵から逃げたり,食料を調達するには不利のはずだが,
おそらく、鹿の世界では、
雌からのまなざし,周りの態度などが、いいサイクルをもたらし,
角のでかさによる多少の生存の不利を補って余りあるのだろう。
(もともとの体力の余裕が支えている分も大きい)
また、角を持つことをやめてその分を筋力の増強に費やした雄が,
角の大きい雄を打ち負かすという戦略に出たりしはないので,
いつまでも角の大きい雄の天下である。
結局遺伝子を残すチャンスが最大になり,ますますそういうタイプの雄がしのぎを削って、
その方向が強まって行くことになるのだろう。
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鹿のことをろくに知らないのに,こんなことを想像で書いたりして,
鹿の専門家から見ると,本当は全然違っていたりして。
昔から考えているテーマだが,
外国の田舎の風景はなぜかっこ良くて,
日本の田舎の風景はなぜダサいのだろうか。
たとえば電柱のたたずまいとか、
それがじゅうぶん古ければむしろいいのだが,
中途半端に新しかったりすると、たまらなくダサい。
そこにくっついてる日本語の看板やハリガミがダサい。
ダサいという概念がそもそもダサい。
それでもじつは、
イギリス人はイギリスの田舎の風景がダサくて恥ずかしくてたまらんと思ったりしてるのだろうか。
英語の看板はどうデザインしたって俺たちにはダサく見えないが,
それでも彼の国人から見ると,ダサい英語とダサくない英語があるのだろうか。
おれもそれがいいと思うぐらい,パチンコは好きではない。
でも知人でしかもけっこう好感の持てる人が、意外とパチンコファンだったりする。
自分の好きな人が,自分の嫌いなものを好き。
たとえばタバコとか,ゴルフなんか、そういうことよくある。
ちょっと悩ましい。
まつ子が大嫌いだ。
なに考えとるんじゃ。
たかしも嫌いだ。
ふたりとも、「おおらかな人柄」とかではすまされない、醜いふるまいだ。
手抜き、押しつけ、開き直り、甘え…。
作者はあえて意図して強調して描いているのか。
おれは、あんな風な家族運営をしていないし,
してはいけないと思って生きている。
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一夜明けて付記:
どうもおれは,登場人物にマジに怒りを覚えることが多い。
架空の人物に対して,おかしいのだが,
作者に,ということは基本的にない。
作者には表現の自由があるしな。
成熟がいいと本心から思っている大人ってどれくらいいるのだろうか。
どう考えても若者の方がいいと思うのだが。
たとえ未熟さが原因で悩むとしても。
大人の方がいいというのは「負け惜しみ」以外のなんでありうるのか、どうも分からない。
生まれ変わったら大学生になりたい。
高校生は未熟すぎてやっぱりキツい。
<生物学的説明>
人間には、もともと進化の過程で獲得した、戦う性質がある。
逆にいうとそうして生き残ってきた遺伝子がいま支配的だから。
(ただし個体によってばらつきがある)
<支配者の心理>
社会の上層部で権力を保持している人間は、
「奪わなくては,奪われる」「殺さなくては、殺される」。
という意識にどうしても囚われてしまう。
(支配下にある人間たちの人生なんか、知ったこっちゃない)。
<群衆の心理>
社会を構成する大多数の人間に,じつは「死への欲望」がある。
「死にたい」ということではなくて、「死」を覗き見たい、
日常を破壊してむちゃくちゃな状態になりたい、という理屈を超えた衝動がある。
(死よりも「退屈」のほうが苦痛なのだ)
<人間は無責任だから。(さらにその理由)>
人間の寿命が短いから,戦争を起こすのではないか。
短い人生において、自分の快感を最大にするためには,
「どうせ死ぬのだから,やりたいことを貫いて死にたい。死んだ後のことは知らない」
という無責任な感覚が、かならず生まれるだろう。
(せめて寿命が300年くらいあったら、孫や曾孫への迷惑も実感でき、もうすこし慎重になるのではないか。)
100才以上の日本人はいま、3万6千人くらいいるらしい。
日本人が100才まで生きる確率は約0.6%。
1000人のうち,2〜3人だそうだ。
確率は500分の1以上。
こういうふうに言うと、けっこう多いような気がする。
でも、
「99%以上の人は、100才まで生きられない」、
と言うと,
非常に少ないような気がする。
ものは言いようである。
ちなみに宝くじで1億円以上が当たる確率は
1000万分の1だ。