全国的な学力低下が起きているとして、その原因の、逆説的な仮説。
人は、「やりなさい」と言われるものより,「やるな」と言われるものの方に魅力を感じて、本気を出す性質がある。
外からの動機付けより、中からの衝動の方が絶対強いのだ。
「勉強」はその手の最たるものだ。小さい頃からやれやれと言われるほど、心の底レベルでは嫌いになる。
とくに、「絶対必要なものだから」、「きみ自身のためだから」と言われれば言われるほど,頭でそれが分かれば分かるほど、体は逃げ出したくなる。
もうやんなくていい,と言われると心底ほっとするようになる。
さて、「教育ママ」と言われるものがクローズアップされはじめた時代、ほとんどの日本人は教育に関して今よりずっといい加減だった。
クローズアップされたのは、珍しかったからだ。自分たちと異質だから,揶揄され、批判された。
だから全体としてみると,勉強の面白さを,子どもが自分自身で見つけていくチャンスが今より多かった。
いったん見つけてしまうと,勉強には、ついのめり込んでしまう魅力、魔力があるものだ。
それが逆転したのではないか。教育に関心が高い親はいまや珍しくない。
昔レベルで言うと,現代は教育ママ,教育パパだらけではないか。そしてそれを批判する言説もない。
そんな時代にどうして学力が低下しているのか、本来なら全く謎である。
進学率とかは高くなるでしょう。勉強しやすい環境はますます整っていく。学校がいかに崩壊しても,塾や通信教材の内容は競争の激化でますます洗練され、効率の高いものになっていく。
でも同時に、勉強への心の底レベルでの嫌悪も進んでいるのではないか。
もともと勉強に向いてる子どもたち、全く向いてない子どもたち,というのは昔からいる。そういう子たちは親や世の中がどう変わってもあまり関係ない。
問題なのは、真ん中へんのごく普通の子どもたちだ。
健全な精神を持った、普通の子どもたちは,必要なことはそこそこやるけど、やらなくていい、となったらぱたっとやらなくなる。嫌いなものに対するつきあい方は自然にそうなる。
嫌いなものは,身に付き方が非常に悪い。
二極分化と言われるものの実態は,たぶん真ん中の落ち込みだ。
学力低下は今後ますます激しくなるだろう。
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この議論は,「統計的な対象としての大多数の子どもたち」に対してはたぶん正しいが、「目の前のわが子」,にはどうしても適用しづらいのが最大の難点であり、多くの親が苦しんでいる。