「シミュレーション仮説」について

『この世界は誰が創造したのか』(冨島佑允)http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309253930/

を読み、考えたことメモ:


現在の世界を丸ごと細部まで正確にシミュレートした仮想現実を作ることが出来るとする。


その「シミュレーション世界」は、そのまま観察したり、または意図的に介入して条件を少しずつ変えて観察することで、ある状態から世界の未来がどうなっていくかを調べることが出来る。


多くのデータが集まるほど正確な未来予測ができるのだから、ひとつだけではなく無数のシミュレーション世界がつくられることになるだろう。



そうして作られた世界はまた、未来に時を進めるだけでなく過去に巻き戻すことも可能だろう。


単に巻き戻すだけでなく、最初に作り上げた時点よりもさらに過去へとそれを延長して作っていくことも出来るはずだ。

つまり物理法則に従って世界を丸ごと過去へと演繹していくわけだ。


世界はどのようにして始まったのか、いまこの世界がこのようである原因はなんなのか、世界の起源をさぐるそうした研究も、シミュレーション世界を作るの目的の一つと考えられる。


われわれの住んでいるこの世界もまさにそうして、何者かによって作られたシミュレーション世界の一つなのではないかという仮説がある。


シミュレーション世界は論理的に考えて無数にあるはずで、であるならば確率的に考えると、この世界はシミュレーションの一つであるほうが、そうでない場合よりも蓋然性が高いのだという。



「五分前世界創造説」という思考実験さながらに、われわれの世界は本当につい最近始まった「過去を持たない世界」なのかもしれない。


または、未来のある時点から過去に向かって演繹されて作り出されつつある世界である可能性もある。その場合、過去はこれからも生み出されていくが、未来はある時点から先はない、ということになる。



前者後者いずれにせよ、謎なのは、そうした世界の中でなぜ「この今」が今なのか、ということだ。


もしかすると、たまたまこのシミュレーション世界の創造者がわれわれを観察している時が「この今」なのだ、ということなのかもしれない。


例えば、文章で書かれた本であれば、いまここが読まれている行である、ということ。ビデオであれば、今ここに再生バーが合わされているということなのかもしれない。



ところでシミュレーション世界を作るにはかなり進んだ科学力が必要だとすると、その世界に模されて始まっただろうわれわれの世界は、この今のわれわれの現在よりもかなり未来から始まったと考えたほうが自然だろう。


そこから過去に向かって作り出されたこの世界を、ある時点からあらためて、われわれが「意識」と感じるものが未来に向けてトレースしている、というわけだ。

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タイムマシンと同じことが出来てかつ矛盾のない機械。

タイムマシンはパラドクスを引き起こす。

パラドクスというより、論理矛盾と言っていいのではないだろうか。

これを解消する方法として考えられるのは、シミュレーションマシンだと思う。

 

例えば映画「レディ・プレイヤー1」のようなもの。

ただしあの映画とは違い、本当に身体ごとあの世界に入って行けるシミュレーションマシンでないといけない。

その点で完璧なのは「もしもボックス」だ。

もしもボックスに入り、例えば「1969年の世界に」とリクエストする。するとボックスの外は1969年になっている。

これは50年の過去にタイムトラベルしたことと変わらない。

 

タイムマシンと違うのは、リクエストした瞬間にあらたに作り出した世界なので、1969年のある時点の世界と全く同じ状態からスタートするが、その世界に入った使用者(トラベラー)がどんな変化を加えても、全くパラドックスや論理矛盾をおこさないということだ。

 

(続く)

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おれ選・池田澄子名句集1

池田澄子さんの句は名句が多すぎて、おれの中では完全に別格なのである。

 

 

瞬いてもうどの蝶かわからない


じゃんけんで負けて蛍に生まれたの


潜る鳰浮く鳰数は合ってますか


セーターにもぐり出られぬかもしれぬ


ピーマン切って中を明るくしてあげた


水面に表裏あり稲光


迎え火に気付いてますか消えますよ

 

目覚めるといつも私が居て遺憾


死んでいて月下や居なくなれぬ蛇


口内炎へ舌行きたがる瀧の前


バナナジュースゆっくりストローを来たる


あめんぼがあめんぼを見る目の高さ


蚊柱の縁をうろうろしている蚊


秋風にこの形ゆえ我は人


蛇苺いつも葉っぱを見忘れる


短日の燃やすものもうないかしら


アマリリスあしたあたしは雨でも行く


ふたまわり下の男と枇杷の種


初恋のあとの永生き春満月


おかあさーんと呼ぶおとうさん稲光


未だ逢わざるわが鷹の余命かな  

 

(随時追加)

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三井団地〜寝屋川団地給水塔

正月に途中下車して寝屋川市の給水塔を見に行った。


2019年1月2日撮影。

 

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香里三井団地の給水塔。(おそらくA団地)

 

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絵柄から80年代頭頃に描かれたものだろうか。

 

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大阪弁。

 

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わりと近くにもう1基ある。

(こちらはB団地か。地図との対応がよく分からず保留)

 

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庇の形が扇形なのがいい。

 

 

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三井小学校の塀。「オアシス運動」の全国分布を調べた人はいるだろうか。

 

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三井中央幼稚園。

 

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少し南のほうへ歩くとある、香里三井F住宅の給水塔。

二階建駐車場の上から見ることが出来るので観賞しやすい。

 

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クリスマスイルミネーションをつけたままだ。点灯した様をいつか見てみたい。

 

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買ったばかりのコンデジの望遠レンズを活かして。 

 

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小さな広場。クリスマス集会などもあったのだろうか。

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三井団地の給水塔同士、同じデザインだということが分かる。

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少し離れて兄弟のような塔がある。

 

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三井団地の北側に隣接する寝屋川団地へ。

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スピーカー。

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70年代の絵本のような壁面絵画。いつ描かれたのだろう。

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たまたま近所で見かけた宗教建築。給水塔のぬっと出る感じと似ていることは似ている。

でもおれには給水塔のほうがずっと興奮できるのだった。

 

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バスを待つ間たまたま見かけた建物のディテール。あまり大きいものではない。

 

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バスの窓から。あらためて「みつい」ではなく「みい」である。

 

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おれ選名句集 1

おれ選名句集 1

 

三つ食へば葉三片や桜餅(高濱虚子)

 

二十のテレビにスタートダッシュの黒人ばかり(金子兜太)

 

きよお!と喚いてこの汽車はゆく新緑の夜中(金子兜太)

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている(金子兜太)

 

採る茄子の手籠にきゆアとなきにけり(飯田蛇笏)

 

新樹並びなさい写真撮りますよ(藤後左右)

 

わが背丈以上は空や初雲雀 (中村草田男)

 

接岸の流水なほも陸を押す(中村正幸)

 

指一つにて薄氷の池うごく(後藤比奈夫)

 

ともだちの流れてこないプールかな(宮本佳世乃)

 

絵のそとはうちの中なり月の旬 (佐藤文香)

 

南風吹くカレーライスに海と陸 (櫂未知子)

 


(2019年3月16日 徳山雅記 選 )

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謹賀新年

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名句メモ

 口内炎へ舌行きたがる瀧の前 (池田澄子)


「俺選名句」というメモもiPhoneメモ内に作っていたのだが、それもごそっと消えてしまったらしい。長い間かかって溜めたんだがな。

確か記憶では、


 瀧の上に水現れて落ちにけり (後藤夜半)


を最初にメモしたと思う。これはやっぱりすごい。

それにしても池田澄子さんの句も、自由というか人を食ってるというか、それでいて鋭い。
本当にそうだという実感がある。

二大瀧の名句だと思う。

どちらのタイプも、ああ俺もこういうのを作りたい、という気にさせる句だ。

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川柳メモ

俳句を始めたころからどうしてもつい川柳ができてしまうことがあって、
俳句とは別にしてiPhoneのメモに入れてだいぶたまっていたのだが、
いつのまにか1、2のかたまりが消えてしまっていたらしい。残念。

そういうわけで以下は比較的最近の「川柳3」のアーカイブである。

もう一周回ってやっぱ古い服

鍋に敷くタウンページの薄さかな

よく揺れるポニーテールに抜かれけり

人類をじろりと睨む大赤斑

立ち上げ中映る顔から目を逸らし

電球もレコードもなきエヂソン忌

焼香に摘むくらいのキャビアかな

警官の夏の妄想ウナギイヌ

「『またデジャヴ』というデジャヴ」というデジャヴ

半ズボン半額セールで二着買う

カメラじゃないほうにお辞儀や初司会

ラーメンのインスタ夏は少し減り

熱帯夜眠れないから起きれない

貝の蓋閉じるが如くトイレ閉ず

ズボン蹴りながら出て来る夏厠

網ポケットにまず放り込むロング缶

降車駅近づくほどに眠くなり

ぼくの体だけ乗せて行く救急車

もうちょっとマシなのたくさんあったはずだがな。

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桃子という名前


石井 桃子(いしい ももこ、1907年3月10日 - 2008年4月2日)は、日本の児童文学作家・翻訳家。

谷 桃子(たに ももこ、1921年1月11日 - 2015年4月26日)は、日本のバレリーナ、振付家である。一般財団法人谷桃子バレエ団総監督(芸術監督)。本名は上田 桃子(うえだ ももこ)

河内 桃子(こうち ももこ、本名:久松 桃子、旧姓:大河内、1932年3月7日 - 1998年11月5日)は、日本の女優。

辻 桃子(つじ ももこ、1945年2月4日[1] - )は、俳人。旧姓・清水。現姓・安部[1]。辻はペンネーム

菊池 桃子(きくち ももこ、1968年5月4日 - )は日本の女優、歌手、タレント[1]、大学教員[1]、ナレーター。80年代アイドル。

川北 桃子(かわきた ももこ、1974年8月29日 - )は、テレビ朝日の元アナウンサー→チーフプロデューサー。

上田 桃子(うえだ ももこ、1986年6月15日 - )は、日本の女子プロゴルファー。熊本県熊本市東区出身。かんぽ生命保険所属。身長161cm、体重54kg、血液型A型。得意クラブは1W。


福地 桃子(ふくち ももこ、1997年10月26日 - )は、日本の女優、タレント。東京都出身。レプロエンタテインメント所属。父は俳優の哀川翔、母は元女優の青地公美。

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「トリドリの宴」ボツ写真

高円寺北口1分の「バー鳥渡」にて、2018年1月20日から31日まで開催の企画展「トリドリの宴」。
その出品候補にしたがボツにした写真。

前回の「塀」も良かったが、「鳥」というのもいいお題だと思った。
鳥というのはついつい撮ってしまっているものの筆頭ではないだろうか。
だから気をつけないと「ありがちな」凡作になってしまう可能性も高いのだった。


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出品作の別カット。2017年10月10日鶴見川鴨居付近のサイクリングロードより撮影。
以下のリンクはこのときの動画。

https://Instagram.com/p/BaCadrKFuLz/

当時のコメントには「スズメ」の大群と書いているのだが、出品キャプションではムクドリということにした。スズメの習性ではないように思うが確たる自信はない。


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2017年10月1日。太田市で開催の長嶋有さんの展示鑑賞&吟行の際に撮った写真。
もう廃園になった幼稚園の門。
鳥渡の企画展への出品においては、自らのアイデンティティとして路上写真を出すべきか迷ったが「鳥」というお題に真っすぐ向き合うほうが本筋と考え、これはボツとした。

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2013年7月27日高岡城址公園にて撮影したもの。アニメ「おそ松さん」でチビ太のおでん屋台に隣接する公園に同型の滑り台が描かれている。他ではまだ見たことがない。


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2014年9月15日。多摩川にて。送電線にびっしり留まっているのはこれもムクドリか。
ツイッターのトップ写真にもこれの別カットを使っている。


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2017年12月30日撮影。多摩川の水面がまるで鏡のようになった。鳥はアオサギか。


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2017年1月16日撮影。ドバトですね。

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